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Zuse Z3は、1941年にドイツでコンラート・ツーゼによって開発された計算機である。世界初の自由にプログラム可能で完全に自動化された機械である。現代の視点からすると、コンピュータの定義に適合する属性をほぼ備えているが、条件分岐命令を備えていない。Z3は2200個のリレーから構成され、動作周波数はおおよそ5から10Hz、ワード長は 22ビットである。プログラムとデータはセルロイド製のフィルムに穴を開けることで記憶される。 1941年にベルリンで完成し、ドイツ航空機研究所で翼のフラッター現象の統計解析に使われた。 本来の Z3 は1943年のベルリン爆撃で破壊された。完全に動作する複製が1960年代にツーゼの会社 Zuse KG によって作成され、ドイツ博物館に永久展示されている。 ツーゼはドイツ政府にリレーを電子スイッチに置き換えるための資金提供を要請したが、第二次世界大戦中であり、戦争遂行の観点から重要でないと判断され、資金は得られなかった。 == 設計と開発 == ツーゼは1935年から1936年にかけてZ1を設計し、1936年から1938年に製作した。Z1は全くの機械式であり、一度に数分間しか動作できなかった。は別のテクノロジーを使うことを助言した。ベルリン工科大学の大学院生だった1937年、シュレイヤーは真空管を使った論理回路や今でいうフリップフロップの実装を行った経験があった。1938年、シュレイヤーはその技術を使った実験的な計算機を作り、少数の人々に実験を公開していたが、実用化するとなると膨大な電子部品が必要となるため、事実上不可能と思われていた。 ツーゼは次の計算機もリレーを使って設計することを決意する。機械式計算機を製造していた Kurt Pannke が資金を出してが開発され、1939年に完成した。1940年にはドイツ航空機研究所の所員の前で披露された。Z2は不安定で動かないこともあったが、同研究所で披露したときは幸運にも動き、同研究所が次の計算機開発の資金を一部提供してくれることになった〔。 1941年、ツーゼはZ2を基本としてそれを改良することでZ3を作った。このプロジェクトはドイツ政府によって極秘とされている。ドイツ航空省のイェニッセン博士が政府を代表してツーゼの会社 ''ZUSE Apparatebau'' に送り込まれている〔1977-compilation by Zuse of people in contact to his computers from 1935 to 1945 〕。他にドイツ航空省から空気力学の専門家も送り込まれた。 Z3は1941年、Z1やZ2よりも高速で高信頼なものとして完成。Z1からの改良点として、浮動小数点数の例外処理を実装している。例外的値として正の無限大、負の無限大、未定義という値を生成でき、それを演算を通して伝播できる。Z3はプログラムを外部のテープに格納しているため、プログラムを変更するのに配線を変える必要がなくなった。 1941年5月12日、Alfred Teichmann や Curt Schmieden といった科学者を集めてZ3が披露された。 その後ツーゼはZ4の設計に入り、戦後になって製作した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Zuse Z3」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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